チェックアウト前の午前5時起床、敦煌の朝はまだ真っ暗闇で、上空にはスバル座など見事な星空が拡がっていました。午前6時過ぎ、この日も快晴の爽やかな朝。一行はチェックアウトを済ませ、夜明け前の幹線道路を東へと進み、敦煌の東南約180キロメートルにある「楡林窟」へと向かいました。辺り一面のゴビ砂漠の中、行き交う車も少なく、まっすぐに延びた幹線道路の前方が次第に明るくなり、午前7時5分、日の出時間を迎えました。一行はバスから降りて、360度の大パノラマの中、輝く太陽をしばしの間、感慨深く眺めていました。再びバスに乗り込んだ一行は、ここでの朝食弁当でした。
バスはやがて幹線道路から南へ右折し、ごつごつとした岩山へと突き進んで行きました。午前8時半、グランドキャニオンのよう切り立った峡谷が見える場所にバスは止まり、そこが「楡林窟」の自然駐車場であることを知りました。早朝からの見学者は誰もおらず、断崖下の方からは何頭かの番犬の吠える声が峡谷中に響き渡っていました。
「楡林窟」は俗称・万佛峡とも言われ、敦煌五大石窟のひとつで、莫高窟に次ぐ規模を誇っています。莫高窟の造営が唐代にピークを迎え、新たな石窟を掘削するスペースが限られてきたために、瓜州・楡林河の断崖に新たな石窟寺院として造営されたと言われています。現在は唐代から元代にかけての42窟があり、東岸に31窟、西岸に11窟あります。唐滅亡後の10世紀五大十国時代以降、莫高窟の芸術性が衰え始めると、それにかわって「楡林窟」の存在が脚光を浴びはじめました。特に11世紀にこの地を支配した西夏国は、仏教芸術の水準も非常に高く、多くの石窟を造営しました。現在、参観可能な東岸の窟がある谷底まで約50メートルの急な石段を降りなければなりませんでした。敦煌研究院の管理下に置かれており、研究員が来る午前9時15分まで入口付近で待たされました。ここも撮影禁止で、ガイドの秦さんにカメラと手荷物を預けての参観となりました。一行は研究員の案内で、桟道伝いに7カ所の窟をじっくりと参観することができました。
資料によりますと、第12窟には、五代の時代に造られた十菩薩と十弟子の塑像と唐の時代に描かれた素晴らしい壁画があります。第13窟には、前室を通り奥に入ると約8メートル四方の大きな部屋があり、正面に釈迦と二大弟子の像が祀られています。天井には釈迦の説法図や蓮の花などが描かれています。第15窟は、唐の時代に造られ、宋の時代に修復されました。中央には釈迦と二大弟子、その前方左右には文殊菩薩と普賢菩薩、その前には手を合わせている供養菩薩の像があります。壁画は宋の時代のもので菩薩が描かれています。天井には宋の時代に描かれた飛天の画があり、前室の天井には唐の時代に描かれた飛天の像があります。第6窟には、唐の時代に造られた高さ24.7メートルの弥勒菩薩があり、清の時代に修復されたとのことです。第19窟、第23窟、第26窟も参観しましたが、残念ながら筆者の記憶も薄れ、該当する資料も無く、また参観した7カ所の窟に該当する写真もカタログ等では見つかりませんでした。ただ、幾つかの窟の天井が長年の雨漏りの影響で崩落しており、壁画の一部も崩壊していたのが印象に残っています。
「楡林窟」からの帰路、瓜州県踏実郷破城子村にある「破城子遺跡」と呼ばれている漢の城壁跡も見学しました。前漢時代に設置された敦煌郡六県の一つ、広至県の県城(城壁に囲まれた町)の遺跡で、南北250メートル、東西148メートルあり、陶器やレンガの欠片があちこちに散見されますが、寒村にあって見学にくる観光客は殆どいないとの事でした。
バスは朝来た道を幹線道路まで引き返し、右折して嘉峪関へと向かいました。途中、瓜の生産地として知られるシルクロードのオアシス都市・瓜州に立ち寄り、午前11時半、「瓜州賓館」での早い昼食となりました。ここでは一行は名物のハミ瓜をデザートに特別注文し、本番の味を嗜みました。
午後12時30分、瓜州を出発したバスは間もなく上下2車線の本格的な「嘉安高速」へと進み、嘉峪関へと向かいました。瓜州(安西)を起点とする全長235.42キロメートルの高速往路は、敦煌からの幹線道路とは様変わり、様々な物資を積載した大型トレーラーが行き交う産業道路で、現在の東西交通の要所となっているとのことでした。右手遠方には祁連山脈が延々と続き、麓にはウルムチからの長距離列車の姿や並行して高速鉄道と思われる工事風景が見えました。左手には小高い馬の立髪のような山々が連なるゴビ砂漠地帯が拡がっており、砂や土に含まれる鉄分や銅などの金属物質によって一帯が白や黒、赤や緑などに変色する雄大な景色が左右に展開していました。
やがてバスは玉門のパーキングエリアへと進み、トイレ休憩。そこには給油待ちの大型トレーラーが列をなして並んでおり、羊をすし詰めに積んだ小型トラックもいました。パーキングを出てしばらくすると、今度は上空からも見えた、おびただしい数の風力発電機群が見え始め、左右に整列する無数の風車群の中を高速道路は伸びていました。
【豆知識】 中国資源総合利用協会によりますと、2010年の年間で中国の設置された風力発電量は1600万kWで、累計容量が4182.7万kWになり、初めて米国を抜き世界一になったとのことでした。
午後3時30分、バスは高速道路を降り「嘉峪関」へと向かいました。暫くすると左前方の高台に堂々とした楼閣が見えてきました。周辺一帯は公園となっており、「嘉峪関」の入口付近は大勢の観光客で賑わっていました。入口から嘉峪関の東門までここでもカートで進み、午後5時集合を約束して各自、城門内へと入って行きました。大勢の観光客をかき分け、城壁まで登ると、城壁の中庭からは笛や太鼓の音が響き渡り、昔の軍の服装をした若者たちによるパフォーマンスが行われており、まるで古代を再現したテーマパークのようでした。一行は西門で記念撮影した後、急ぎ足で東門へと引き返していきました。
【豆知識】 東西シルクロードの要衝の一つ 「嘉峪関」
嘉峪関は周囲733mを高さ11mの城壁に囲まれ、内域は33,500m2以上である。黄土を版築でつき固めた城壁であり、西側は煉瓦を積み重ねて出来ている。東西にそれぞれ楼閣(門楼)と甕城を持つ城門を備え、東を光化門、西を柔遠門という。西門には「嘉峪関」の扁額がかかっている。関の南北は万里の長城とつながり、城壁の隅角部には櫓が設けられている。2つの門の北側には関の最上部に上ることが出来る通路がある。嘉峪関の防御設備は大別して内郭、外郭、堀の3つとなっている。万里の長城につながる関の中で唯一建設当時のまま残される建造物である。最東端にある山海関が「天下第一関」と称されるのに対し、嘉峪関は「天下第一雄関」といわれている。東西シルクロードの要衝の一つであり、周囲には敦煌莫高窟のような著名な史跡が存在し、多数の漆喰壁画が見つかっている。 (ウィキペディア・フリー百科事典より引用)
午後5時半過ぎ、一行はこの日の夜行列車に備え、嘉峪関市内のレストラン「花苑酒店」にて早めの夕食となりました。冷えた飲み物で一行が楽しく会食しておられる裏では、現地ガイドの秦さんと全線ガイドの劉建軍さん及び随行員の3人が今夜の寝台列車の件で深刻な協議をしていました。1カ月前に予約済みだった4人部屋寝台の軟臥車が13人分しか確保できず、替わりの6人掛け寝台の硬臥車も6人分しか確保できず、ガイドの劉さんともう1人の2人分は最悪の一般車両席になるとの連絡が敦煌の旅行社から入ったとのことでした。(涙!) 本年7月、浙江省温州市で発生した高速鉄道の衝突事故を契機に、中国全土の列車運行の安全運行が叫ばれ、大幅なダイヤ改正とともに旧来の慣行が白紙に戻され、1カ月前の一部予約も取り消しになったとのことでした。理由はどうであれ、緊急事態発生であり、年長者・女性優先を前提に関係者と相談させていただいた結果、先生方を含めた年少者6人が硬臥車寝台に移行し、劉さんとカメラマンの2人が途中、随行員と交代することを前提に食堂車に陣取ることになりました。
午後7時前、一行は嘉峪関の駅に到着し、ここでガイドの秦さんとはお別れでした。中国の駅はどこも大勢の人々で混雑していますが、特に夏休みのこの時期は9月からの新学期に備えて国内移動する学生も多く、駅構内は大きな荷物を抱えた乗降客でごった返していました。定刻午後7時30分発の1068便は大幅に到着が遅れ、午後8時20分頃になってようやく改札が始まりました。人々は先を競ってプラットホームに急ぎ、降りる人と乗り込む人が入り乱れてあちこちで口論が起こっていましたが、一行はともかく必死で乗り込み、それぞれの座席に着きました。食堂組の2人も荷物だけは寝台車の方に運び、ホッとする間もなく、列車は動き始めました。列車の車窓からは夕暮れ時の街角から、小高い山々に囲まれた農村の風景へと移り変わり、やがて深い夕闇に覆われていきました。一行はそれぞれの思いを胸に、この日の長い夜を列車で過ごしました。
随行員は仮眠をとりながら深夜、何度か食堂車の様子を伺いにいきましたが、鍵がかかっていて中に入ることができず、結果的には2人と交代することができませんでした。翌朝、午後7時半になって、やっと2人が寝台車の方に疲れ切った表情で現れました。食堂車の掃除と準備で追い出されたとのことで、一晩中、食堂車も超満員でほとんど寝付くことが出来なかったとのこと。(涙!) 天水まではわずかな時間でしたが、交代した寝台席で2人は爆睡していました。車窓から見える早朝の景色は、ゴビ砂漠から黄土高原の深い山岳地帯へと移り変わり、黄色く濁った「渭水」の急流が見え隠れしていました。午前9時頃になって、女性の乗務員が天水の到着を知らせるため、一行の席に回ってきたため、ガイドの劉さんを揺り起こし、対応してもらいました。こうして約13時間、1,118キロメートルに及ぶ嘉峪関から天水までの列車の旅は午前9時25分、意外と定刻よりも早く、天水駅に到着しました。
(この日、皆さんには心配をおかけし、誠に申し訳ありませんでした。特にガイドの劉さんとカメラマンのお二人には想定外の御迷惑をおかけし、この誌面をお借りして深く、深くお詫び申し上げます。)
4日目 「楡林窟」&「嘉峪関」見学
7日目 「陝西省考古研究院」「大雁塔」&「陝西省歴史博物館・唐代壁画珍品館」参観
8日目 「西安碑林博物館」「青龍寺」「兵馬俑坑」見学&「修了式」兼「歓送会」
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