8月23日、残暑厳しかった8月前半とは様変わりの霧雨模様の涼しい朝でした。羽田発着組の14名は集合予定時間の午前7時30分までに、大勢の旅行客で賑わう羽田空港国際線旅客ターミナル3階の出発ロビー・Aカウンター付近に集合しました。事前の渡航説明会での顔見知りや初対面同士での自己紹介を済ませた後、早々に出国手続きを済ませ、搭乗待合席へと進んで小休憩しました。やがて、搭乗案内のアナウンスがあった午前9時前に、関西空港発着組の3人も無事、出国手続きを済ませたとの連絡が入り、先ずは一安心といったところでした。
ほぼ満席のNH1255便は午前9時40分、羽田空港を離陸。西日本上空は発達した低気圧の影響による乱気流で、機内食サービスが一時中断される程の冷や汗の出る飛行がしばらく続き、やっとの思いで揺れが収まった頃には眼下に渤海湾が見えていました。搭乗機は定刻より40分も早い現地時間午前11時50分に無事、北京首都国際空港に到着しました。緊張しつつ中国への入国審査を終えた一行は、無人シャトルを経て各自、託送荷物をピックアップし、到着出口へと進みました。大勢の出迎え人で混雑する到着出口では、今回の全線ガイドの劉建軍さんが笑顔で一行を出迎えてくれました。NH159便で先着しているはずの関空発着組の3名が見当たらず、まだ到着していないとのことでした。羽田発着組が到着出口で3人を出迎えた時、3人は驚きの様子でした。関空からの便はそれほど揺れもなく、ほぼ定刻通りだったとのことでした。
午後1時、北京は気温27度の薄曇りで、日本よりもやや蒸し暑い天気でした。早速、一行はバスに乗って、北京大学へと向かいました。ポプラ並木の続く高速道路を突き進み、高層ビル群が林立する北京市内に入ると、西に向かう四環路は車で溢れ、あちこちの交差点で渋滞していたものの、午後2時半過ぎに北京大学の西門に到着しました。門衛係が予定よりも早く到着したためか、ゲートをなかなか開けてくれませんでした。ガイドの劉さんが徐天進教授に電話連絡して、やっとキャンパス内に入れました。広い緑のキャンパス内を開講式の行われる「北京大学・サックラー博物館」へと向かいましたが、途中の道順を間違え、右往左往していると出張中の日本側主催者の関係者が現れ、博物館まで誘導してくれました。清時代の古建築の博物館は目下、外装の全面工事中なので、横の通用口から正面のロビーに回ると、先に北京入りされていた稲畑耕一郎早稲田大学教授ととともに、考古文博学院の徐天進教授が満面の笑みで一行を出迎えてくれました。
午後3時、一行は博物館の応接室に案内され、早速、「開講式」が行われました。徐天進教授の熱烈歓迎の挨拶、日本側受講者の簡単な自己紹介の後、徐天進教授から記念品として「北京大学サマーキャンパス2011」の印字入りTシャツが一行に贈呈されました。更に、8月30日の西安での「修了式」にて授与される予定の「記念証書」が、今回は立派なアクリル製の額付きとなって重く、レポート提出を前提条件に、一端、各自に預けられることになりました。「開講式」の当日に「修了証」が仮授与された一行は大喜びでした。
しばしの懇談、及び博物館で展示中の現代漆工芸品を見学した後、一行は2階の会議室へと移動し、考古文博学院の趙輝院長から歓迎のご挨拶があり、午後3時半から同学院副院長の杭侃教授による「河西回廊の仏教遺跡群」をテーマにした「特別講義」が行われました。講義はプロジェクターを使い、河西回廊の歴史的役割や敦煌・莫高窟をはじめ、甘粛省に点在する仏教遺跡の考古学的価値と芸術的価値について、稲畑教授の通訳で行われました。今回の考古学ツアーのガイダンスを兼ねた「特別講義」の概要は次の通りです。
先ず、河西回廊の「河西」とは黄河の西側を指し、古代より多くの偉人達が行き来した辺境の地であったこと。今回の考古学ツアーは「渭水」に沿った旅で、敦煌は河西回廊の西の終点で、更に西域の守備の最前線として「玉門関」や「陽関」が築かれたこと。シルクロードには東路や北路など様々なルートがあり、そのルートを通じて、ローマやペルシャなど西域文化や交流文物が中国に入ってきたこと。仏教もこのルートを経て、先ず、仏像を拝することから始まり、発展を遂げていったこと。そうした中で重要な石窟が造営され、河西回廊沿いに点在していること。重要石窟としては莫高窟の他、炳霊寺石窟、雲岡石窟、麦積山石窟、龍門石窟があり、これらの石窟は僧侶達の修練の場でもあったこと。河西回廊の仏教美術はこの仏教東進の変遷を示すもので、特に莫高窟には「維摩詰」や「九色鹿」など中国に於ける仏教伝来の歴史が刻まれており、仏教以外にも当時の思想や人々の生活様式、服装、髪型、建築様式等が壁画に描かれており、考古学的にも芸術的にも貴重な人類の至宝となっていること。
【豆知識】 莫高窟に描かれた人と物語
「維摩詰」 第220窟東壁画・初唐。 維摩詰(略して維摩)は、仏伝にもみえる北インドの富裕な在家信者(居士)で、仏教教理に精通し、じつは菩薩の化身であると説かれた言わば大乗仏教の理想的人間像を体現した人物。維摩経変相は同経の「文殊師利問疾品」の中心をなす場面、すなわち維摩が病を装って、次々に見舞い「問疾」に訪れる国王以下諸人を論破するのを知った釈迦が、十大弟子や菩薩たちを「問疾」に差し向けようとするが、誰も応じようとはせず、結局一人だけ承諾した智慧第一の文殊菩薩が彼のもとを訪れ、諸菩薩、弟子衆をはじめ国王・大臣以下多数に囲まれて、まさに論談しようとするところを核とした場面。
「九色鹿」 第257窟(北魏) 九色鹿王の物語。川で溺れている男を九色の鹿が助けた。男は鹿の前で跪きお礼を言った。鹿はお礼は無用、他人にこの事を話さないようにと言った。ある日その国のお后様が九色の鹿の夢を見、鹿を欲しがった。王様はお触れを出して知っている者を募った。それを見た男は鹿との約束を破り、王様を連れ鹿の住処へ。その様子を見ていた烏が鹿に危険を知らせたが、間に合わなかった。鹿は王様の後ろにかの男を見つけ激怒した。そして王様と話をし、王様が感動し、鹿を捕らえるのをやめた。男は身体から悪臭が湧き、死んで地獄へ落ちたという、因果応報の話。 (ウィキペディア・フリー百科事典より引用)
午後4時30分に特別講義は終了し、一行はまだ明るい青空の下、緑に囲まれたキャンパス内にある「未名湖」の畔で小休憩した後、散策しながら「歓迎会」の行われる「北京大学・勺園七号楼餐庁」へと向かいました。夏休み中とあってか、大学生の姿はあまり見かけませんでしたが、受験生らしき若者やその家族ずれが大勢、見学に押しかけており、賑やかな公園のような風景でした。北京大学の迎賓館とも言うべき勺園は、留学生寮とともに外国人教授や研究者達の宿泊ホテルとしても利用されており、七号楼の餐庁は明るく趣あるレストランでした。
午後6時、趙輝院長を交え、日中の総勢23名での「歓迎会」が行われました。熱心な日本の考古学ファンに対する趙輝院長の熱烈歓迎の挨拶の後、白酒で乾杯が行われました。それまで、やや緊張気味だった一行にも笑顔が見られ、和やかな歓迎の宴が始まりました。徐天進教授からは、6月の事前調査旅行での大変厳しい様子が報告され、一行の旅の途中での体調管理にくれぐれも注意するよう暖かい助言がありました。昨年のサマーキャンパスに参加したメンバーからは、強行日程ながらも大変有意義で本当に楽しいツアーであった旨の想い出話が披露され、新たなメンバーからは、今回の敦煌・莫高窟に寄せる熱い思いやユニークな考古学ツアーに対する期待などが語られ、歓迎宴は大いに盛り上がりました。
午後8時、惜しみながらも「歓迎会」はお開きとなり、多忙な趙輝院長とはここで、感謝を込めてのお別れとなりました。稲畑教授・親子も加わった一行は、北京市内の中心地・長安街に面した「北京飯店」へと向かいましたが、北京市内の夜の街角はまだまだ人影も車も多く、個性的な高層ビル群は、震災の影響による節電下にある日本とは対照的に、互いに競うように色とりどりのイルミネーションやライトアップで照らし出され、賑やかな様相を呈していました。午後9時前、バスは天安門に隣接する「北京飯店」に到着。早速、チェックインの手続きを済ませ、元気な若者組?は北京一の繁華街・王府井に出かけた方もおられたものの、翌日早朝の出発に備えてこの日は各自、早めに就寝しました。
(皆さん、本当に長い第一日目、お疲れ様でした!)
1日目 「開講式」&「歓迎会」
7日目 「陝西省考古研究院」「大雁塔」&「陝西省歴史博物館・唐代壁画珍品館」参観
8日目 「西安碑林博物館」「青龍寺」「兵馬俑坑」見学&「修了式」兼「歓送会」
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