この日も気温24℃の涼しい晴れた朝でした。午前7時半、ホテルを出発した一行は、新幹線で武夷山東駅に向かうため三明駅に向かいました。ガイドの林さんとは、ここで日本に来られた時の再会を約してのお別れとなりました。林さんには道中、中国内の様々な問題を率直に話してもらい、現代中国をより理解するための一助となりました。
午前8時8分、新幹線は三明駅を出発し、次の目的地の武夷山東駅へと走行し始めました。2等席の車両は日本の新幹線こだまと同じタイプで、途中時速290キロで山間部を疾走していきました。午前9時2分に真新しい武夷山東駅に到着すると、駅前で元気な現地ガイドの姚麗芬さんが出迎えてくれました。残念ながら武夷山の旅行会社には日本語のできるガイドがいないため、李ジュンさんの通訳と変な片言英語での案内となりました。
一行は武夷山東駅から約7キロ北上した武夷山市興田鎮に位置する「城村漢城遺跡」へと向かいました。現地に到着すると、間もなく福建閩越王城博物館弁公室主任の呉邦其女史が傘を差しながら現れ、一行を漢墓遺跡へと案内してくれました。「城村漢城遺跡」は「閩越王城遺跡」とも称される漢代早期の城池遺跡で、1959年に試掘、1980年に重点的に発掘され、1996年に全国重点文物保護単位に選ばれ、1999年には武夷山風景区とともに世界文化・自然複合遺産に選ばれました。一行は東門から入り、小高い丘に進むと東西550メートル、南北860メートル、面積48万平方メートルの宮殿跡がありました。南側には大きな池があり、他に水門、眺望台、祭壇、水井等の遺跡類があって中国南方地方で最大規模の漢代遺跡と称されています。宮殿跡の一角に吹き抜けの部屋址もあり、その効用についていろいろと議論しました。見学途中、観光バスに乗った大勢の中国人観光客が一行を追い抜いて行き、宮殿跡だけを見学してそのまま引き返して行きました。
次に一行は遺跡の南側にある「福建閩越王城博物館」へと案内されました。普段は未開放とのことで、ここでも特別見学となりました。当時の宮殿を再現したコンクリート製の博物館の中庭には、劉邦を支援して閩越王に封じられ、閩中統治を認められたという閩越王騶無諸の大きな像が立っていました。館内には閩越王の歴史と遺跡発掘当時の解説・写真類が掲げられ、遺跡から発掘された陶水管道、铜箭镞、陶匏壶、閩越王城遺跡模型などが整然と陳列されていました。展示室中央の立体台には、誇らしげに3Dホログラフィーの最新テクニックを利用した宮殿の立体像が前後左右に動いて宙に浮かんでいました。
午前11時過ぎ、一行は次の訪問地・武夷山市仙店路に位置する「建窯・孫建興老師工房」へと向かいました。日本の国宝や重要文化財となっている『曜変天目茶碗』の故郷として有名な南宋時代の「建窯遺跡」群近くにある新たな研究所・工房で、現在も天目茶碗の研究と再現に取り組んでおられるのが中国陶瓷工芸美術大師(日本の人間国宝)の孫建興先生です。
一行が工房に到着すると、既に徐天進先生が浙江省安吉県の発掘現場から駆け付けておられ、孫建興先生と一緒に笑顔で出迎えてくれました。徐先生とは1年ぶりの再会挨拶を交わした後、早速、孫先生と娘さんの孫莉女史の案内で研究所・工房内の展示室を見学しました。日本でも通信販売で孫先生の作品は販売されており、高価な作品は数十万円もするとのことです。
高価な名品の数々とともに、建窯遺跡から発掘された天目茶碗の陶片や世界のVIPに中国の国礼として贈呈されるという珍しい高級茶と天目茶碗セット等を見学した後、一行は孫先生の御夫人が天目茶碗を使って用意された現地特産のウーロン茶を御馳走になりながら、訪問記念帳に記帳しました。帰り際、孫先生から一行に記念品として小ぶりの天目茶碗が贈呈されました。
午前11時半、一行は孫先生の家族挙げての歓迎ぶりに感謝しつつお別れし、武夷山市郊外の「九曲人家」という郷土色豊かなレストランで、徐天進先生を囲んでの昼食タイムとなりました。徐先生は当初、初日から一行に同行する予定でしたが、急遽、浙江省安吉県での発掘を指導するよう要請され、この日は特別な私用で抜け出してきたとのことで、29日には再び安吉県へとんぼ返りするとのことでした。
食事中の話題は、日本に流出した国宝級の青銅器が無事、中国へ返還されたという、9月10日付の新華社通信の記事についてでした。西周後期から春秋初期の「曽伯克父(そうはくこくふ)青銅組器」計8点のことで、近年、湖北省随州市の春秋初期曽国上級貴族の墓から盗掘されたことが分かっていましたが、在北京日本大使館からの知らせで、日本でオークションにかけられることが判明。中国公安部門との緊密な連携で5カ月に及ぶ返還活動が実を結び、8月23日深夜に北京に無事到着したとのこと。何と徐先生が8月下旬に急遽訪日されたのは、それらの真贋を最終的に判断するためで、国宝級の貴重な文化財だと判断し、極秘に持ち帰ったとのことでした。日本のオークション会社の名前を聞くと、いとも簡単に中国人が経営する東京の某オークション会社とのことでした。
午後2時半、昼食を終えた一行は、武夷山市から東方80キロにある浦城県へと向かいました。約1時間で一行は浦城県の文化展示ホールに到着しました。ホール入口には浦城県博物館館長の毛建安先生が出迎えてくれ、早速センター2階へ案内されました。正面には「改革開放四十周年―浦城考古成果展」の飾り付けがあり、2005年の中国十大考古新発見に選ばれた「猫耳山遺跡」、2006年の中国十大考古新発見に選ばれた「管九村土敦墓」、更に2018年11月に発見された「竜頭山遺跡」で発掘された文物が所狭しと、展示されていました。
出迎えの浦城県博物館館長の毛建安先生達は、「猫耳山遺跡」「管九土敦墓」「龍頭山遺跡」の発掘をした当事者とのことで、徐先生への説明には特に力が入っている様子でした。「猫耳山遺跡」は高速道路の建設の際に発見された商代遺跡で、2005年、2006年の発掘で新石器時代の墓葬2座、商代の墓葬21座、居址炭灰坑9箇所の他、大量の石器、土器、陶片等が発掘され、現在、遺跡は埋め戻されました。「管九土敦墓」は2006年に発掘が行われ、土敦墓(盛り土の墓)30余りが発見された夏・殷・西周から春秋時代の遺跡で、陶器、原始的青磁器、青銅器、玉器など200余りが出土しました。青銅器には、剣、矛、矢尻、手斧、酒器、皿、杯など福建省内で出土した青銅器群としては最多となっており、特に精巧な越式青銅剣が10点出土しました。「竜頭山遺跡」は2018年11月に浦城県博物館と厦門大学のとの共同発掘調査で漢代の墓2基が発見され、陶器の一部や銅の矢尻などが出土しました。1基はひどく破損していましたが、もう1基は保存状態が比較的良好で、前漢初期の閩越時代の中型墳墓と見做されており、現在も発掘作業が続いているとのことでした。
次いで一行は、浦城県の狭い路地を通り抜け、現在も発掘作業が行われているという、河川敷に面した小高い丘の「竜頭山遺跡」に案内されました。現場では夕陽を浴び、北京大学と厦門大学の先生方の指導を受けながら、厦門大学の学生達が発掘作業を終えた所で、片付けと現場の確認撮影を行っていました。学生達はこの日が初日で、今後3カ月間も発掘作業を行い、単位を得るとのことでした。帰路、学生たちの宿舎となっている建物に立ち寄り、徐先生は『浦城龍頭』と題する記念の擡頭を発掘スタッフに書き残しておられました。
午後6時半、夕闇迫る浦城県を後に、一行はこの日から2泊するホテル「悦・武夷茶生活美学錦江酒店」へと向かいました。今回のツアーで最も見学先が多い強行日程で、一行は眠り勝ちでしたが、路先生と李ジュンさんは徐先生を相手に、中国語での会話が延々と続いていました。
ホテルは総合リゾート地・武夷山の旅情豊かな低層の豪華ホテルで、ロビーの一角には武夷山の誇る高級ウーロン茶と様々な茶器類が並ぶコーナーがありました。徐先生は、夕食後はここで皆と一緒にゆっくりしようとのことでした。夕食はホテル内の別棟レストランの個室で、早速ビールで乾杯し、改めて一行の近況紹介とともに、福建省の感想や日本で今夏に国宝3点が同時開催された『曜変天目茶碗』の話題、更には来年のツアーはどうするか等の話がありました。北京大学との関係が深い山西省を考えている旨、話すと、山西省は多くの貴重な古代遺跡があり、最低でも2度に分けて見学する必要があるとのことでした。
夕食後は、ロビーの茶席で中国式のお点前を味わうことになりました。沸騰した湯で最初は注ぎ出した後の茶器で香りを嗅ぎ、2杯目から5、6回繰り返しての高級ウーロン茶の味を堪能しました。中国式のお点前はまだ10年程の歴史だとの徐先生の説明を聞きながら、綺麗な吉林省出身の女性のお点前に一行はすっかりリラックスしつつ、深夜遅くまで徐先生との優雅なひと時を楽しみました。
4日目 「城村漢城遺跡」「孫建興老師工房」「竜頭山遺跡」
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