この日も気温27℃の爽やかな快晴の朝でした。朝食を済ませた後、筆者はホテルに隣接する「五一広場」を散策しましたが、10月1日の『中華人民共和国成立70周年』を慶祝する紅旗群と大きな花壇の飾りつけ作業が広場のあちこちで行われていました。以降、訪問する先々でも同様の豪華な慶祝の飾りつけが見受けられました。
午前8時15分、一行はホテルと同じ鼓楼区にある「福州開元寺」へと向かいました。この日は、福建省博物院への表敬訪問が当初の午前から午後に変更となったため、急遽、空海と所縁のある「福州開元寺」を訪問することにしたものです。同寺院は、南朝梁太清三年(549年)に建てられた福建省の古寺で、かつては「霊山寺」と呼ばれていました。寺の門には「開元寺」という額がかかっていますが、この額は唐代の有名な書家、欧陽詢により揮毫されたものです。同寺院はかつて王室の寺として使われており、唐代には、日本真言宗の祖である空海大師、日本天台宗寺門派の祖である円珍大師などが修学のためにやって来る程の有名な寺院でした。宋代には仏教の経典『毘慮大蔵経』全巻を複写し、近代には中国で初めての大規模な仏教病院を開設したことでも知られています。翌日、現地のニュースサイトに一行の訪問記事が複数の写真とともに掲載されていました。
早朝の突然訪問に拘わらず、住職の釋本性大師、監院の宗仁法師をはじめ僧侶達が門前まで出迎えて熱烈歓迎してくれました。釋大師は中国仏教協会常務理事でもあり、筆者が6年前に「日中友好宗教家懇話会」の随行員として同寺院を訪問したことがある旨、ご挨拶すると懐かしく微笑んでおられました。一行は大師の案内で、先ずは薬師堂に安置された薬師仏の前で秘宝の薬草や寺院と医療との関係などの説明を受けました。次に案内された「鉄仏殿」には高さ約6メートル、重さ5トン以上と言われている金箔の特大鉄仏が安置されており、鉄の鋳造仏としては中国で最も古い918年に造られ、現在は福建省の重点文物保護単位に指定されているとのことでした。続いて一行は、空海大師法身塔や団珍大師法身塔などを見学しながら、何故か横を向いた空海大師像が安置されている「毘慮蔵経閣」の二階に案内されました。寺院の案内書によりますと、福州開元寺は仏経典を刻印する寺院として有名で、1112年に福州蔵とも言われている『毘慮大蔵経』を刊行。40年もの年月を要し、合わせて590函、1451部、6132巻に登りました。当蔵の原版は永年に渡る様々な原因によってその大部分が消失され、現在は日本の宮内庁が所蔵している経典を撮印したものが蔵書されているとのことでした。
午前9時半、一行は次の見学先「昙石山遺蹟」のある「昙石山文化博物館」へと向かいました(注:昙(たん)は中国語で“月下美人”の意)。福州市内から西へ約35キロの福州市閩候県に位置する昙石山公園内にある今から4300〜4900年前の新石器時代から青銅時代にかけての文化遺跡です。1954年に発見されて以来、9回にわたる発掘によって遺跡の全容が明らかにされ、その殆どが何層にも重なる墓地群で多くの遺骨や祭祀跡、陶器類及び陶窯などが出土しています。この時、一行のマイクロバスは博物館の正面入口が分からず、裏口から入って行きました。
同博物館の董平館長の委託を受けた女性学芸員が一行を出迎えてくれ、昙石山遺蹟から発掘された文物類や新石器時代の生活様式など、懇切丁寧な解説を受けました。次いで博物館のエレベーターを上昇し、隣接する小高い丘にある遺跡現場へと案内され、入口で靴をビニール袋で覆ってからの入館でした。やや古くなった遺跡現場の真上の透明アクリル板が傷着かないための処置の様でした。学芸員の話では一行が最後の見学者になり、この秋には現在の博物館は取り壊されて新しい博物館が建設される予定とのことでした。因みに古代日本人の遺骨もあるという謎の噂はまったく根拠がないとのことでした。
約1時間半の見学を終えた一行は、閩候県のピンクの花咲く街路樹の一角にある「破店」というレストランでの昼食タイムとなりました。先ずはビールで乾杯し、李ジュンさんの選んだ多彩な食材を堪能しました。(注:福建料理(閩菜)は、山海の珍味を料理することで有名で、色、香り、味、形のよさを前提とした上で、淡白な旨み、旨みのある柔らかさ、独特の調味による味付けに趣があります。調理法は餡かけ、下茹で炒め、揚げ、煮込み、から揚げに定評があります。薄口醤油よりも透明度の高い白醤油を使うこと、新鮮な海の幸をふんだんに使用すること、中華の多くが素材を油通しするのと違って、湯通しすることなどが上げられ、中国料理の中でも淡白な味で、日本人の舌に合っていると言われています。)
午後1時15分、昼食を終えた一行は、福州市内へと戻り、西湖公園に隣接した「福建省博物院」へと向かいました。2002年に2.7億元を投じて現在の福建の古代建築を模した建物が完成し、福建省博物館から「福建省博物院」に名称変更されました。文化財と自然標本が17万点あり、そのうち特に珍しい文物は3万点と言われています。
本館入口ロビーでしばらく待っていると、出張先から当初の予定時間を切り上げて駆け付けてきたのは今回のツアー受け入れに全面協力していただいた福建省文物考古研究所の楼建龍所長でした。早速、楼所長の案内で『福建古代文明之光』と題した陳列館の入口から順に、旧・新石器時代、青銅器時代から明・清代までの重要文物をジックリと見学しました。
今回のツアーで見学予定の明渓南山遺跡、万寿岩遺跡や閩越王朝関連の遺跡、城村漢城遺跡、建窯遺跡等々から発掘された文物をはじめ、同博物院の誇る貴重な文物類を約2時間半かけて見学した後、一行はやや疲れ気味ながらも、更に楼院長の案内で一般には未公開の『福建考古成就展・閩迹躁尋』の飾り付けがある臨時展示場を特別見学しました。
午後4時半、博物院の見学を終えた一行は隣接する「福建博物院考古研究所」にて特別講義に臨みました。「福建省古代遺跡の考古概況」をテーマに、講師は同研究院の史前研究・新石器時期専門家の陳兆善先生。スライドを使っての貴重なデータや地図及び発掘当時の現場写真等、約1時間半に渡って明日からの見学に参考になる講義をしていただきました。
午後6時半、眠気を抑えながらの特別講義を終えた一行は、福州市の中心街にある豪華レストラン「福州栄誉大酒楼」での歓迎夕食会に臨みました。福建省文物考古研究所所長の楼建龍先生はじめ、福建省文物局の王永平先生、研究員の陳兆善先生、同じく羊澤林先生、温松全先生、幹部の余慧君先生、以上6名の先生方が参加され、賑やかな歓迎夕食会が始まりました。 楼先生から徐天進先生の大切なお客様を熱烈歓迎する旨の挨拶があり、李ジュンさんが北京から持ち込んだ高価な貴州茅台酒で乾杯しました。日本側からは、楼先生への感謝の気持ちから、目下、日本で開催中の日中文化交流協定締結40周年記念「特別展・三国志」のカタログを贈呈しました。また、徐天進先生のご指導を受けながら、中国考古学ツアーを実施して今回で9回目となる旨紹介し、最近3回分のレポートも贈呈しつつ、福建省での新たな知見と出会いに期待している旨、挨拶しました。
宴では安陽市の『曹操高陵』から出土したという鉄鏡と日本の国宝「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」が酷似しているという話題で盛り上がりました。楼先生は出張途中の厦門へ戻るとのことで中座されましたが、賑やかな宴は午後9時半頃まで続きました。お別れに当たって、皆さんに日本からの土産菓子を一人ひとりに渡し、明日からの移動に当たっては、少し楽になりました。
2日目「福州開元寺」「昙石山遺蹟」&「福建省博物院」
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