午前4時、チェックアウトを済ませ、暗闇の中を西約230キロメートルの「ベナレス」へと向かいました。ホーリー祭の被害と途中の渋滞を考慮しての早朝出発となったため、車は順調に進み、やがて片側二車線の整備された国道2号線に入りました。連日の早起きに慣れた一行もさすがにこの朝は眠い中、ヒンズー教の聖地・ベナレスまでの長い恐怖のドライブが始まりました。国道2号線は、東はウェストベンガル州のカルカッタからインドの首都デリーまでを結ぶ全長約1,500キロメートルの高速道路ですが、日本のように高架ではなく、途中の村や街では横断歩道があって、道路脇には牛が寝そべっており、人々は時速120キロで疾走する車を避けつつも平気で横断していました。
どこまでも続くインド大陸の田園風景を見ながら、やがて乗用車は道路脇の茶屋小屋での小休憩となりました。ここで眩しい朝日を浴びながら、ホテルから持参した粗末な弁当と温かいチャイでの朝食となりました。やがて高速道路を外れ、ベナレスへ向かう途中の街角に入ると、早速、若者達が赤や黄色などの色を顔や体に塗りたくり、奇声を発して行き交う人々や車に向かって水鉄砲やバケツで色水を浴びせており、一行の車も青色の水をぶっかけられてしまいました。流行なのか、銀色の顔をした若者がやたら目立っていました。ホーリー祭はもともと豊作祈願の祭りでしたが、その後クリシュナ伝説などの各地の悪魔払いの伝説などが混ざって現在のような形になったとのことです。ホーリー祭の特徴である色粉や色水を掛け合う由来は、カシミール地方の伝承で、この日に人家に押し入ってくる悪鬼ビシャーチャを追い払うため、泥や汚物を投げつけたのが始まりとされています。そのため黄色は尿、赤は血、緑は田畑を象徴すると言われています。
一行はガンガ河の大きな橋に差し掛かり、ベナレスの街が対岸に見えてきました。乾季のガンガは水量も少なく、ほとんど流れも無く淀んでいました。正午、約8時間の長距離ドライブを終え、ベナレス市内の「ホテル・バイバブ」に到着しました。昼食も弁当の予定でしたが、弁当はホテル従業員に譲り、一行は別メニューでの昼食に切り替えました。この日から一行の腹具合が何となくおかしくなり始め、トイレに行く回数が増えて、前夜の水割りの氷が原因だと勝手に決め付けていました。
午後2時、一行はベナレスの北約10キロメートルに位置する「サルナート」へと向かいました。サルナートは漢訳で「鹿野苑」と呼ばれる地です。ブッダガヤで悟りを開かれた釈尊は、その真理を人々に伝えるため、この地に向かわれました。遺跡公園の手前には、かつて苦行林で行をともにしていた5人の比丘(修業者)が釈尊を迎えた場所があり、現在“迎仏塔”が建立されています。広い公園内には礼拝堂・僧院跡、アショーカ王柱が残されており、高さ43メートルのストゥーパ・ダメーク塔が聳えていました。遺跡からはアショーカ王柱の上に飾られた4頭の獅子の石像彫刻が出土しており、現在は公園内の考古博物館に展示されていました。2千年以上前の見事なこの石像はインド紙幣のデザインに使われています。また、公園に隣接するスリランカ寺院には、日本の野生司香雪により描かれた釈尊の一生の壁画がありました。
帰路、一行はシルク工場に立ち寄り、それぞれ手土産としてインド製のパシュミナ・ストールと手頃なネクタイを購入しました。パシュミナは薄くて軽く、暖かくて肌触りが絶妙なことで知られる最高の毛織物で、カシミールの伝統的な手工芸品です。午後4時半、一行は一旦ホテルに戻り、夕方まで小休憩することにしました。
ベナレスは「ワーラーナシー」が現地名称で、街の呼称は近くに流れるヴァルナー川とアッスィー川に挟まれた街から由来すると言われています。ウッタル・プラデーシュ州に属し、人口約310万人の都市。紀元前6世紀から5世紀頃、この地にあったカーシー国の首都として栄えましたが、その後、コーサラ国、マガダ国などに支配されました。前4世紀、インド初の統一王朝となるマウリヤ朝が成立するとその支配下におかれ、以後も歴代王朝に支配され続けました。16世紀に成立したムガル帝国のもとでは、3代皇帝アクバルが宗教寛容策を採ったことで知られるように、イスラム教徒、ヒンドゥー教徒の共存が図られたため、ベナレスの再建が進みました。しかし、17世紀に厳格なスンナ派である6代皇帝アウラングゼーブが即位すると、再び聖像崇拝禁止の方針がとられ、街の多くの宗教施設が破壊されました。そのため、現存している建物の多くは、18世紀以降に建てられたものとのことでした。
午後6時、ガンガ河岸のガートで行われるヒンズー教プージャの見学に出かけました。ベナレスの夕刻の街中は大勢の観光客で混雑しており、ガートの手前から車は通行止めとなっており、参拝者は歩いてガートまで進みました。夕闇迫るガートには祭壇が5カ所並んで設置されており、石階段には大勢の見物人が座してプージャの開始を待っていました。一行はガイドのシンさんの案内で古びた船に乗り、小さな川虫が飛び交うガンガの河中から見学することにしました。河岸には灯明を流し、熱心に祈る人々の姿も見られました。午後6時半、いよいよプージャが始まりました。ボリュームいっぱいの大音響の読経に、インドダンスそっくりにリズミカルな音楽が流れ出し、若い僧5人が灯籠をかざして舞う姿はまるで一大観光ショーのようでした。午後8時、ホテルでの遅い食事となりました。
一行はホテルに戻り、日本人観光客用に造られた小さな銭湯を利用することにしました。日本人観光客の一員が先客で入浴していましたが、久しぶりの熱い湯につかり、互いに日本人にとっての銭湯の有難さを語り合いました。午後7時、その日本人観光客団体と一緒での夕食となりました。ここではバドワイザーとは別に、バレンタインの水割りで乾杯、バイキングでのインド料理を味わいました。翌日はヒンドゥー教の春祭り“ホーリー祭”で、春の訪れを祝い、誰彼なく色粉を塗りあったり色水を掛け合ったりして祝い、朝から酔っ払いも多くケンカも絶えないとのことで、当初予定よりも大幅に早い午前4時に出発することになりました。各自、早めに部屋に戻り、NHKワールドニュースで深刻さ増す東北大震災の被害状況を確認した後、早々に就寝しました。
5日目 サルナートとベレナス見学
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