この日も快晴。午前7時半にチェックアウトし、一行はパトナの南約103キロメートルに位置する「ラジギール」へと向かいました。前日と同じ北のガンガ大橋に向かう国道は相変わらずの大渋滞でしたが、南に向かう逆の方向は出足順調で、一安心したのはつかの間、やがて国道は大型トラックの“コンボイ”さながらの先陣争いと騒音で再び恐怖の場と化していました。しかし、車窓から眺める田園風景は長閑で、地平線の彼方まで延々と小麦畑が拡がっており、あちこちで収穫の季節を迎えつつあり、農民達が朝から昔ながらの共同作業での麦刈をしていました。やがて雨季がやってくるとインディカ米の田植え季節になるとのことでした。
午前11時、一行はラジギールへの途中、ビハール州ナーランダ地区にある「ナーランダ僧院跡」を訪れました。5世紀に建設され12世紀にイスラム教徒に破壊されるまで、仏教学の一大研究センターとして栄えた僧院跡で、大唐西域記で知られる玄奘三蔵がこの地に留学した当時は1万人もの学僧が学んでいたとも言われています。645年、玄奘は657部に及ぶ経典を中国に持ち帰り、仏法を唐の国に伝えました。僧院跡からわずか2キロの地点に、中国が建てた平和記念の寺院「玄奘記念館」があったとのことでしたが、事前の勉強不足で、今回は残念ながら見学できませんでした。
炎天下の下、遠方に小高い丘が連なる一帯は緑多い公園となっており、ゲート周辺には参拝客や観光客相手の土産物屋や食べ物屋が立ち並び、幼い少女や老人達の物乞いとともに、少年達が絵葉書やパンフレットを売りつけようと必死に日本語で話しかけてきました。敷地内では木陰で瞑想する人々の姿や、内外の観光客に混じって、修学旅行のよう女学生の団体も見受けられ、当地が人気の観光スポットの一つであることを知らされました。
一行は現地の日本語ガイドの老人の案内で、広大な敷地を見て回りました。長年風雪に耐えた煉瓦造りの本殿跡や宿舎跡などの遺跡群は想像以上に堅固で立派に保存されており、発掘された写本や遺物などは現在、ナーランダ博物館に展示されているとのことでした。
ナーランダの見学を終えた一行は、更に南へ10キロ程の山丘地帯に位置する「ラジギール」へと向かいました。車窓からは、遠くにナツメヤシやバナナの木立が見え隠れし、やがて目前に迫りくる険しい丘の頂上にはゾロアスター教やヒンズー教の塔が現れ、山頂に向かうケーブルカーの麓は土産物屋や食べ物屋が立ち並び、大勢の参拝客で賑わっていました。昼前の気温は優に35度を超えており、木陰には老人達が寝そべっており、周りを子供達に混じって牛や犬や山羊が動き回っていて、灼熱の国・インドの原風景が目の前に広がっていました。
正午過ぎ、一行は煉瓦つくりの増築中の「インド法華ホテル」に到着、早めのチェックインを済ませての昼食となりました。炎天下での見学でのどが渇き、早速、キングフィッシャービールで喉を潤し、ここではベジタルカリーを味わいました。午後は猛暑を避けるための休憩タイムとなりました。煉瓦造りの部屋は庭の緑が映えて別荘のような雰囲気でしたが、蚊とハエが飛び回っており、老人ボーイさんに蚊取線香はないのか聞いたところ、殺虫剤で部屋中を駆除してくれました。これで一安心し、クーラーを思い切り強にしてのほろ酔い気分での心地よい昼寝タイムとなりました。
ラジギールには紀元前5世紀に栄えたマガダ王国の首都である「王舎城」があり、近くに釈尊が晩年を過ごし、説法されたとして有名な「霊鷲山」があります。陽が西に傾きはじめた午後4時過ぎ、一行は先ず、霊鷲山の麓にあるマガダ王国の「ビンザサーラ王の牢獄跡」に向かいました。ここは、ビンザサーラ王は釈尊に帰依し、その布教活動を保護しましたが、息子のアジャータシャトルによって幽閉され、殺害された『王舎城の悲劇』の舞台として知られています。現在はサッカー・グランド位の広さの周囲に、わずかに石垣が積んであるだけの殺風景な広場になっていました。
次に、一行はラジギールの街中にある「竹林精舎」へと向かいました。「竹林精舎」はマガダ王国のビンビサーラ王により奇進された竹林のカランダ長者が寺院を建立した場所で、「祇園精舎」(サヘート)と並んで仏教史上最初の寺院として知られています。境内には、当時の面影を残す竹林の株がわずかながら残っており、木陰では地元の若者達が読書や車座になって何か楽しげに涼んでいる様子でした。ここも一般の参拝客や観光客はあまり見かけませんでした。修復された沐浴池が境内の中心部にあり、池の脇には、池の底から発見されたという当時の仏像が丁重に祀ってあり、チベット式のタルチョとともに、タイ式の参拝方法と思われる金箔が仏像やその周辺の台座などに貼ってありました。
次に、竹林精舎と隣接する都市遺跡「王舎城」の城壁跡に向かいましたが、現在はその面影はなく、周囲のところどころに石垣が繋ぎ合わされているような状態で、城壁内の広場は子供達のクリケットの遊び場と牛や山羊達の放牧場になっていました。ホテルへの帰路、「日本山妙法寺」に立ち寄りましたが、広い本堂では日本人らしき老僧の経に合わせて、インド人の爺さんが大きな太鼓を打ち鳴らしており、100ルピーのお賽銭を指し出すと、堂内の写真を撮ってもよいという合図を送ってきました。何妙法蓮華経のお題目を唱えていたので、日蓮宗系の寺院と思われます。ここにある霊鷲山は釈尊が法華経等を説法された名高い霊場で、日蓮宗系にとっての聖地中の聖地とも言える場所です。更に、ホテルの前にある真新しい「タイ寺」にも立ち寄りましたが、ここは本堂よりも立派な宿舎があるものの、その前の池はまるで蚊の養殖場のようでした。
午後7時、ホテルでの夕食となりました。他に客も少なく、一行はキングフィッシャービールを飲みながら、インドでは数少ない仏教徒で近く結婚するというガイドのシンさんから、ヒンズーの神々のことを聞きながら夕食タイムを楽しみました。
3日目 ナーランダ僧院跡とラジギールの見学
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