旅の初日、北京の広大な故宮を見学した後、老舎茶館にお茶を飲みに行きました。20年ほど前に開設された、茶を飲みながら伝統的な演劇や音楽を見たり聞いたりする趣向の喫茶店でした。薄暗い店内には、いく組かの客が、さほど広くない丸テーブルで、茶を啜っていました。出し物の時間には、未だ間がありそうです。
席に着くと早速、伝統的な中国服を着た若いウェイトレスが、注文をとりにきました。メニューは竹簡に筆書きされていました。司馬遷の『史記』は竹簡に書き記されていたことを思い出し、ふうーんと、わかったような気分になりました。西湖竜井80元/杯、黄山毛峰38元/杯、茉莉茶王50元/杯、鉄観音80元/杯、大紅袍100元/杯・・・・・。15円/元で換算し、ウーンと唸りましたが勿論、大紅袍をたのみました。黄色の蓋碗(蓋つきの茶碗)には、濃い茶褐色の香りの強い茶が、湯気をたてていました。茶葉が口に入らないように、蓋を少しずらしながら、啜ります(この飲み方はまさに、「啜る」という表現にふさわしい)と、強い芳香とともに、苦・渋味はなく旨・甘味のやや強い茶が、口中に広がりました。手元の中国茶図鑑には「馥郁(ふくいく)な香り」と表現されていますが、「馥郁な香り」という日常ほとんど使わない言葉の感覚的意味を、北京の茶館で始めて、味わいました。
中国でもペット茶がありました。日本のように、飲料水のなかのメジャーな商品かどうかわかりませんが、ミネラル水やスポーツ・ドリンクと並べて売っていました。ただ緑茶には糖分が入っており、口には合いません。ただ三得利(サントリー)烏龍茶)だけが、無糖でした。前日、中国茶の王様、大紅袍を飲んだばかりの私の舌には、三得利烏龍茶はまさに、「うまのしょんべん」のような味がしました。
旅行初日の夜、北京のレストランで、兄の旧友たちによる熱烈歓迎宴が催されました。この席に、中国人友人の一人が持ってきてくれた菊花茶がだされました。乾燥させたキクの花とプーアール茶をブレンドさせたもの。爽やかながらも強烈な香りは、カモミールの香りです。カモミールはキク科植物ですので、同じかもしれません。味は、プーアール茶の旨味の強いものでした。茶を飲み干すたびに、ウェイトレスが茶碗に茶を注いでくれるので、この夜は存分に、菊花茶を楽しむことができました。それにしてもこのお茶、何煎淹れても味と香りが、落ちませんでした。
この席で、茶の話題がひとしきり、語られました。日本では、葬儀の香典返しによく茶を使うことを紹介したら、お土産に幾種類かの茶葉を持ってきてくれた兄の旧友のひとりは、今晩のように大切な人を訪ねる時、土産に茶を持参する、といいました。いい習慣だなあ、と感心し、日本の煎茶を土産に持参しなかったことを、すこし後悔しました。日本の緑茶について好き嫌いを尋ねると、日中友好派である皆さんは一様に、好きだといいましたが、最初からそうだったかとしつこく聴きますと、あの青臭い臭いは当初、好きになれなかったといいました。茶とは関係ありませんが、中国人の兄の友人たちは、20数年前の思い出を語る時、「昭和○○年」と日本の元号を、極自然に使っていました。西暦での会話は、全くありませんでした。何やら不思議な感じでした。
北京・鄭州間と西安・上海間の飛行機のなかの茶は、どちらも、茉莉花(ジャスミン)茶でした。ホテルは5ケ所で泊まりましたが、すべて茉莉花茶のティーバッグが置いてありました。レストランでは、緑茶と茉莉花茶とが、半々程度だったように記憶しています。茉莉花茶が、想像していた以上に、普及していました。いま日本では、ちょっとしたスーパーなら、中国茶をある程度品揃いのうえ販売しています。烏龍茶が定番商品となっていますが、最近ではジャスミン茶とプーアール茶に人気が集まっているようです。
茉莉花茶といえば、北京の梨園劇場に京劇を見にいった際、芝居の始まる前に茶芸によって入れられた茶がジャスミン茶でした。これが、ネットサーフィンで知った「龍行十八式」(四川省長嘴茶壺茶芸)という茶芸なのでしょうか。素晴らしく器用に、テーブルにこぼすことなく茶碗に入れていきました。
旅の最終日に、上海市豫園の茶館「湖心亭」で、茶を一服。100年以上前に立てられた、上海で一番古い茶館だそうです。豫園一帯は、東京浅草と京都嵐山と大阪難波を合体したような都心の大観光地で、土産物店や食べ物屋がぎっしり軒を連ねており、そのなかを大勢の人々がぞろぞろと、行き交っていました。この茶館で私は、緑茶を飲んでみることにしました。竜井(ろんじん)茶が、北京の時と同様に 蓋碗にいれてでてきました。微かな香りとさっぱりとした飲み口は好もしく、日頃飲むにはふさわしい茶だと思いました。兄と姉は、鉄観音茶を注文し、ウェイトレスが「工夫(こんふー)式」で淹れた香り高い茶を、楽しんでいました。工夫式とは、茶壺(急須)、茶杯(猪口状の小茶碗)、聞香杯(香りをかぐための背の高い小茶碗)などの茶器をそろえ、最後の一滴まで抽出して香りを楽しみ味わう、主に烏龍茶を飲むときの作法です。
豫園の小さなお茶屋さんで、茶壺・茶杯・茶盤のセットを買いました。気に入りのセットを見ていると、若い女店員が、300元でいいよ、いいました。日本円4,500円では、如何にも高い。いらない、というと、ではいくらなら買う、と問うてきました。80元なら買うと返しました。すると、100元でいいよとなったので、買いました。1,500円が、はたして安いのか高いのか。帰国後、家内に土産話をしながら、北京で頂戴した鉄観音茶を、この茶器を使って工夫式で飲みました。鉄観音茶の強い香りを嗅ぎながら、話に熱がこもってきました。
(1) 龍の国・中国の旅
(2) 古代中国を行く−青銅器時代へ−
(3) 人、人、人・・・中国の旅
(4) 茶を飲む・中国の旅
(6) 古代中国が蘇る・遺跡発掘現場へ
(7) 奈良の仏像のふるさと・龍門石窟