視察二日目は、「漢武帝茂陵」の視察です。一行は午前7時半、気温10℃の朝モヤ立ちこもる中、この日も焦先生達の先導で、西安から西郊約40キロメートルに位置する咸陽の「漢武帝茂稜」へと向かいました。前日の渋滞が嘘のように順調に進み、前日約2時間かかった「漢長安城未央宮遺跡」まで30分で通過し、沿線には超高層マンションが立ち並ぶ高速道路を西に向かっての快適なドライブ日和となりました。宝鶏へと続く高速道路の途中を右側に大きく迂回し、茂稜へと向かいました。茂稜に向かう一般道路は立派に整備・舗装され、沿線にはリンゴ畑や小麦畑が広がる長閑な田園風景が広がっていました。
一行は先ず、茂稜を迂回して漢武帝の二元帥の一人・霍去病墓にある「茂陵博物館」へと向かいました。霍去病墓の正面と周囲には、匈奴との勝戦を象徴する様々な石像が陳列してあり、博物館にはこれまでに発掘された文物や盗掘された文物等が展示してあり、博物館の目玉となっている「汗血馬」と称された金馬像を目当てに、朝から大勢の観光客が押し寄せていました。
霍去病(前140〜前117年)は前漢時代の優れた武将で、勇敢かつ決断力に富んでいましたが、24歳の若さで、祁連山で病死しました。シルクロード開拓のために外征で活躍し、匈奴人を北方に追いやり、河西回廊の交通と外国貿易の道を確保したことで知られています。墓の中からは漢代のレンガや瓦当、鋳型、青銅製の酒器、犀、薫炉、人形、騎馬俑など、数多くの文物が出土しました。
午前10時半、茂陵博物館の見学を終えた一行は、茂稜へと向かいました。ここはまだ未発掘の稜で、幅広い参道が延々と続く陵の麓には清代に建立されたという石碑が正面に設置されているだけの素朴な感じの陵でした。焦先生によりますと、唐代以降の参道は南から北に向かって作られましたが、漢代には東から西に向かって参道が作られたとのことでした。茂陵は漢王朝時代の武帝・劉徹(紀元前156年〜紀元前87年)の陵墓で、高さ46.5メートル、頂の長さ39.25メートル、幅40.60メートルで、敷地面積は154,836平方メートルです。陵墓は上部が底部より少し小さい方形をしており、荘厳で安定感があると言われています。周囲には霍去病の他にも、衛青、霍光、金日単、李夫人など約20基の陪塚が点在しており、建造期間は長く、紀元前139年から紀元前87年までの約53年かけたと言われています。茂陵は前漢の諸陵の中で最大規模を誇っており、「中国のピラミッド」とも称されています。別途、漢武帝に関して、現地ガイドの郭さんや劉建軍さんは漢王朝の第5代目と説明するのに対し、日本側は第7代目だと主張し、復路の車中では熱い日中論争が起こりました。中国では3代目の少帝・恭及び4代目の少帝・弘を除外し、高祖、恵帝、文帝、景帝に次いで、武帝を第5代目としているようでした。
午後1時、一行は昼食のため、再び霍去病墓の博物館へと引き返し、「茂苑美食庁」という接待所での昼食となりました。ここではノンアルコールのような地ビールで喉を潤おし、地元特有の辛酸っぱい野菜中心の田舎料理を味わうことができました。
昼食を終えた一行は、茂稜から西へ約3キロメートルの所にある「興平留位墓地」という発掘現場へと向かいました。高速道路の工事中に発見された遺跡とのことで、現在も遺跡の直近まで、谷深く切り開かれた高速道路用の壁面工事が行われており、その近くにサッカー場のような広場があり、24℃の炎天下で大勢の人々が発掘調査を行っている姿が見えました。ショベルカー等の機械類も用いられ、かなり大規模な発掘現場でした。
現地資料によりますと、ここでは前期考古の調査中に古墓葬42座、陶窟2座が発見され、2014年5月から本格的な発掘作業が開始されました。現在、西漢の晩期から東漢代に至る古墓葬15座と唐代の2座を発掘中で、他に東側の茂稜に通じる幅広い参道一条と陶製の各種文物200余件も発掘されているとのことです。
焦先生によりますと、ここでは、中国が世界に誇る“洛陽鐕”というボーリング用具で、地下7メートル辺りにある墓室を探索しており、地上から墓室に至る墓道はある程度ショベルカーで掘った後、手探りで自然堆積の土と人手の入った土の色の違いを見分けながら慎重に掘り進んでいるとのことでした。洛陽鑽とは、考古学のボーリング調査に使用される専用の穿孔用具で、長い柄の先に半筒形の金属がついています。明代の半ばに洛陽で造られ、元来は盗掘用のものでしたが、現在は洛陽の東郊にある小李村で製造されています。一般のボーリング調査では、多くの作業員が約50センチ間隔で並び、印をつけた場所を地下数メートルのところまで掘っていき、専門の調査員が掘り出した土をもとに、地下に遺跡があるかどうかを調査しているとのことでした。
早速、一行は2人一組に分かれて、調査員の指導を受けながら慎重に専用コテを使い、発掘現場の土の色を見分けていました。一行にとって興味ある洛陽鐕の作業方法についても、阿房宮遺跡の発掘で17メートルまで掘り下げたという専門作業員から実技を教わり、実習として墓室のありそうな箇所を掘り探るという体験もすることができました。
午後6時、実習で汗ばみながらも発掘調査を体験できた喜びにつつまれた一行は、焦先生達と分かれ、ホテルへと戻りました。小休憩の後、午後7時前、一行は西安の火鍋料理を求めて、前日と同じ“大唐不夜城”のレストラン街へと向かいました。この日は金曜の夜とあって、どこも混み合っており、結局、ホテル隣接の屋外レストラン「唐貨川埧子火鍋」の夕食となりました。火鍋には唐辛子満載の辛いタレと辛くないタレに分類されていましたが、唐辛子と胡椒の辛さが舌に染みつき、汗をかきながらビールばかり飲んで、肝心のしゃぶしゃぶの肉は解けてしまってあまり味わうことができませんでした。
午後9時過ぎ、夕食を終えた一行は、翌日早朝からの「周原遺跡」の視察に備えてホテルに戻り、この日も早目の就寝となりました。
4日目 咸陽「漢武帝茂陵」視察
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