8月21日、曇り。午前8時40分、旅慣れた一行は早めにチェックアウトを済ませ、石家荘から南に位置する邯鄲市へと向かいました。約252キロメートル、約3時間の旅です。
バスは「京珠高速」に入り、石家荘郊外の大型工場群を横目にしながら順調に走行していましたが、やがて林畑のど真ん中で渋滞個所に差し掛かりました。トレーラーと乗用車の接触事故でした。左右前後の間隔を無視した乗用車の運転が引き起こしたものと思われました。しかし、なぜか無謀な先陣争いの運転の割には今回の旅では交通事故が意外と少ないようにも感じられました。
バスは高速道路を邯鄲北・出口で下り、ここでも女性ガイド2人を乗せ、邯鄲市から西に向かって峰峰鉱区に位置する「響堂山石窟」へと向かいました。邯鄲市から武安市へ向かう道路の沿線一帯は、高層ビル群が立ち並ぶ新市街地でしたが、石炭を満載した大型トレーラーが街中を行き交い、辺り一面、土埃が舞い上がってモヤのように霞んでいました。
【豆知識】
邯鄲市は人口約870万人、京広線の沿線にあり、石炭業のほかセメント製造、鉄鋼業、電子産業等が盛んで、その交通の便から工業都市として栄えています。戦国時代の趙の首府であり、秦の始皇帝誕生の地としても知られおり、日本ではとりわけ『邯鄲の夢』『邯鄲の歩み』の故事によって有名です。
武安市に近づくと、道路沿いに大型の製鉄所やセメント工場が立ち並び、大きな煙突からは黒や白の煙がモクモクと立ち上がっていて、ここは正に大気汚染の発生源か、といった感じでした。それでも武安市は「小北京」と言われる程、計画的な近代都市造りで知られているとの説明に、一行は驚きの表情でした。
バスは武安市を通過すると、やがて登り坂に差し掛かり、正面に大きな岩山が見えてきました。「響堂山石窟」のある鼓山の登り口です。午後12時半、当初の予定より1時間遅れの到着で、入口前の小さな農家料理店の屋外テーブル(?)での昼食となりました。これが意外とさっぱりとした素朴な麺類で、連日の豪華な中華料理にやや重状態の一行にとっては好評でした。
昼食後、一行は北響堂の山肌沿いに広がる殿閣や山腹に連なる石窟を見学しつつ、約600段とも言われる急な階段を汗しながら、何とか目標地点まで登ることができました。
午後3時過ぎ、バスは邯鄲市磁県にある「磁州窯遺跡」へと向かいました。約70キロメートル、約1時間の旅です。途中、のんびり移りゆくトウモロコシ畑の景色とは裏腹に、石炭を満載した大型トレーラーが行き交い、相変わらず土埃が絶えない状況でした。しばらくすると、バスは交通事故かと思われる大渋滞に巻き込まれました。ノロノロ進む内に人だかりの道路の真ん中に、白いタスキ姿の異様な若者の姿が見られ、腕には若い女性の遺影を抱いて、その後方には石棺らしき物が置かれていました。渋滞する車の運転手一人一人から現金を受け取っている様子で、ガイドさんの説明では、交通事故で亡くなった女性への義捐金を要求しているとのことでした。被害者の遺族に地元住民が加勢し、地元警察も黙認しているとのことで、ここでも経済発展のヒズミを見せられた思いでした。
午後4時、邯鄲市内にある「磁州窯遺跡博物館」に到着、ここで現地ガイド達とはお別れでした。「磁州窯遺跡博物館」は、宋元代及び清代の窯跡が忠実に復元・展示してあるとともに、中国の人間国宝と言われる劉立忠先生の工房があり、一行は劉先生から直接、数々の作品を手に取りつつ磁州窯陶器の特色について説明を受けました。
「磁州窯遺跡」の見学後、邯鄲市に位置する三国志の舞台「遺跡」へと急ぎました。邯鄲市の南南東に位置し、当初30分もかからない予定でしたが、跡の直ぐ手前の道路が工事中で通行止めとなっており、万事休す。
一旦、引き返し、別ルートを地元の公安警察に聞いても分りません。ここで、徐先生は近くにいた見知らぬ運転手に先導役を依頼され、見事に成功。午後5時半、途中、高架下の高さ制限の影響で、一行はバスから先導車に乗り換えながら、約1時間がかりでようやく曹操の大きな石像が立ちはだかる目的地に到着しました。辺りは夕闇迫る時刻で、既に入口は閉じられていましたが、徐先生のご尽力で難なく入場でき、「銅雀台」を始め、暗闇の中の文物管理所、文物展示所をじっくりと見学。更には跡全体が見渡せる高台へと案内され、版築の修復工事の様子もじっくりと見学できました。
「遺跡」を見学した後、親切な先導車とはお別れし、再び「京珠高速」を利用して、河南省安陽市へと向かいました。約115キロメートル、約1時間の旅です。
この日は3カ所の遺跡視察で、一行は疲れ果て、バスでは熟睡状態でした。高速を下り、しばらくすると、元気な安陽対外友好協会の郭さんがガイドとして乗り込んで来ました。彼は日本で6月に放送されたBSジャパンの特別番組「三国志ミステリー 覇王・曹操の墓は語る!」の撮影に同行したことを自慢気に話していました。
安陽市の街角は、石家荘と比べると車やオートバイも比較的少なく、落ち着いた古都の雰囲気でした。土曜日とあってか、商店街には大勢の人々が行き交い、賑わっていました。ここでも、新しい高層ビル群の建設の一方で、旧市街地の一角が次々と取り壊され、瓦礫の山があちこちで見受けられました。
午後7時半、この日は先に四つ星ホテル「安陽賓館」でチェックインを済ませ、その足で市内のレストラン「一千鮮」での遅い夕食となりました。この日はツアーの中日ということもあり、早めに夕食を切り上げました。
【豆知識】
安陽市は北京から南西に約500キロメートルの位置にあり、人口は約540万人(うち市街地人口は約100万人)、中国七大古都(北京、南京、杭州、西安、洛陽、開封、安陽)の一つとなっています。約3300年前の商代後期の都で、中国古代王朝の一つ・殷の時代の遺跡「殷墟」があることで有名です。
4日目 「響堂山石窟」「磁州窯遺跡」&「」 視察
7日目 「河南博物院」見学・「鄭州商城」 視察 & 「修了式」兼「歓送会」
「北京大学サマーキャンパス2010」にて訪問した重点遺跡の視察報告、および補足の解説をまとめたレポート(PDFファイル)を作成いたしました。下記リンクよりダウンロードできます。
「北京大学・サマーキャンパス2010」重点遺跡レポート (PDF/1.77MB)
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