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「湖北省の古代遺跡を訪ねる旅」 <報告・4日目>

<4日目> 「荊州熊家塚墓遺跡」「荊州博物館」「荊州古城」


 気温28℃前後の快晴の朝。朝食後、ホテル周辺を散歩に出かけましたが、周囲は幅広い道路に面して近代的なオフィスビルやマンションが立ち並ぶ通勤時間帯前の静かな新市街地の様相でした。中国の地方都市は規模の大小に関係なく、旧市街に隣接して新市街が建設されているケースが多く、経済発展の象徴となっている模様です。

天門市


午前8時、一行は天門市から南西へ更に約220キロメートル、約2時間半の荊州市郊外にある川店鎮張場村へ向かいました。当初の予定を変更し、午前中に「荊州熊家塚墓遺跡」を見学することにしました。この日の高速道路も順調に流れ、車窓から眺める景色は所々稲刈りを終えた田園風景が延々と広がっていました。バスはやがて荊州方面の道路標識がある高速道路出口で降り、左側に荊州古城とある道路標識とは逆の右側道路を進んで行きました。暫くすると「楚王車馬陣景区」の看板が見え、道幅の広い新しい直線道路を進んで行くと、その突当りの丘陵地が「荊州熊家塚墓遺跡」のある施設でした。

午前10時半、一行は薄曇り模様の「熊家塚国家考古遺跡公園」に到着し、公園入口付近で荊州博物館のスタッフがこちらに向かっているとのことで待機しました。暫くして王女史と年配のスタッフが現れて公園内へと案内され、「楚王車馬陣歓迎」の入口を入ると女性解説員と専用カートが現れました。気づくと荊州博物館の年配スタッフはそこで引上げて行き、王女史が慌てて土産を渡そうと追いかけましたが、既に姿は見当たりませんでした。

熊家塚国家考古遺跡公園熊家塚国家考古遺跡公園熊家塚国家考古遺跡公園熊家塚国家考古遺跡公園

公園内は車馬坑の展示館や大きな楚王の主墓塚と副墓塚以外に、風光明媚な自然景区や弓遊戯場等があり、一大テーマパークの様相を呈していました。一行は女性解説員の案内で先ず、車馬坑の展示館内を見学しました。主墓塚の西側に位置する車馬坑は2006年8月から発掘作業が行われ、全長131.1メートルもあり、戦国時代の車馬坑としては最大の長さで、一列に約30個の小型車馬坑が発掘されました。埋葬された楚王は周時代後期の「熊」にちなんだ姓の貴族で、楚国の貴族の墳墓としては最大規模を誇っています。

一行は薄暗い館内に案内されると、一列に並んだ車馬坑の列が飛び込んできました。所々に照明燈があって、工作員2人が発掘作業をしている様子も伺えました。小型の車馬坑以外に6頭立ての大型車馬坑もあり、ガラス張りの足元から間近に見学することができました。女性解説員によりますと、馬は生贄ではなく、屠殺された後、馬車とともに一列に並べられたとのこと。また、主墓塚の南側には列状士坑もあり、現在までに55カ所程の墳墓が発掘調査され、玉類や水晶、青銅器、陶磁器等、3000点余りが見つかっています。

***

正午過ぎ、一行は「荊州熊家塚墓遺跡」を後に、約30キロメートルの荊州市内へと戻りました。空は次第に雲行きが怪しくなり、午後1時頃に荊州古城の城壁門が見える頃には小雨模様となっていました。荊州市内のレストラン「梁記粥舗」での遅い昼食タイムとなり、ここの料理は粥専門店でした。粥以外に珍しい亀や巨大魚頭の料理が出て一行は怖々ながら摘んでいましたが、意外とラー油の味加減が絶妙で一行は満足気味でした。

昼食昼食


午後2時過ぎ、昼食を終えた一行は「荊州博物館」へと向かいました。1958年建造の「荊州博物館」には陳列館と珍品館があり、荊楚6000年の歴史の移り変わりが展示されています。小雨降る博物館のロビーでは女性解説員に出迎えられ、早速、午前中に見学してきた「荊州楚墓熊家塚出土玉器展」に案内されました。当時の玉器の製造工程を復元した像や発掘現場の解説を聞いた後、一行は貴重な玉器の数々をじっくりと見学しました。

荊州楚墓熊家塚出土玉器展荊州楚墓熊家塚出土玉器展荊州楚墓熊家塚出土玉器展


次に一行は「鳳凰山168号漢墓展」に案内されました。ここには前漢時代の男性のミイラが完全な状態で保存されており、巨木で作られた墓室とともに、ガラス越しに生々しいミイラが横たわっていました。発掘当時の写真やミイラの解剖状況のパネルの他に埋蔵された俑や漆器等もあり、一行は興味深く女性解説員の説明を聞いていました。

鳳凰山168号漢墓展鳳凰山168号漢墓展


次いで「古代漆木器精品展」の展示室に案内され、東周楚墓に特有な神器「虎座飛鳥」や「双鳥鼓台座」等の漆器類の他に、龍虎の精巧なデザインを施した薄絹織物の文物とその復製品が展示してあり、特に刺繍の服や多彩なデザインの絹織物は今までに発見された戦国時代の絹織物の中では最高の逸品とされているとのことでした。

古代漆木器精品展古代漆木器精品展


午後4時半過ぎ、「荊州博物館」の見学を終えた一行は雨降る中、「荊州古城」の城壁へと向かいました。「荊州古城」は別名「江陵城」とも呼ばれおり、秦漢代に城の周囲が造られ、五代十国の煉瓦造りの城が建てられ、宋、元、明代には何度も崩壊と修理を繰り返し、現在の城壁は明代に建てられたものです。三国志の舞台として知られ、中国を代表する歴史的な城の一つで、1965年に荊州古城の北側で文字の刻まれた「越王句践」の名刀が発掘されています。

荊州古城荊州古城


午後5時、一行はこの日の見学予定を全て終え、東へ約250キロメートルの武漢市へと向かいました。連日の長旅にやや疲れ気味の一行は、高速道路に入って間もなく深い眠りにつきました。幹線の高速道路とあって大型トレラーや乗用車が行き交う内に徐々に渋滞しはじめ、午後6時半頃には大渋滞となり、完全にストップ状態になりました。暫くするとサイレンを鳴らしたパトカーやレッカー車が脇道を走り抜けて行き、周りの運転者や同乗者の人々は交通事故と悟って車外に出て諦めた様子でした。約30分して動き始めましたが、大型のタンクローリーと乗用車の衝突事故で乗用車は大破していました。

午後7時半頃、劉建軍さんと相談し、武漢までの時間が相当遅くなり、夕食の時間に間に合わなくなるので、途中の潜江市で高速道路を降りることにしました。荊州市と武漢市の中間地帯で、新市街地の一角にあるレストラン「第8号ザリガニ(虫編に下)舗」での夕食となりました。このレストランは武漢にあるザリガニ専門のチェーン店で、中国では人気料理の一つとのことでした。一行は初めてのザリガニ料理で興味深々に味わっていましたが、大蒜とラー油で揚げたエビのような味で酒の肴にはぴったりでした。この夜は運転手の王さんの推薦で地元の42度の白酒「苦莽」で乾杯しました。

夕食夕食


午後11時前、武漢市の「錦江国際大飯店」に立ち寄り、劉建軍さんの置き忘れたスーツケースをピックアップした後、この日から2泊する「武漢シャングリラホテル」にチェックインしました。2日間に及ぶ長距離バス旅を終えた一行は、翌日のホテル出発時間を遅めの午前9時40分として、この日の遅いお開きとなりました。(辛苦了!)



 「湖北省の古代遺跡を訪ねる旅」 報告

報告 1日目 出国・入国

報告 2日目  「盤龍城遺跡」&「湖北省博物館」「歓迎夕食会」

報告 3日目 「随州博物館」「曽侯乙墓」「天門石家河遺跡」

報告 4日目 「荊州熊家塚墓遺跡」「荊州博物館」「荊州古城」

報告 5日目 「黄鶴楼」「楚河漢街」「湖北省博物館」「歓送夕食会」

報告 6日目 出国・帰国


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