毎日エクステンション・プログラム
「湖北省の古代遺跡を訪ねる旅」 <報告・2日目>

<2日目> 「盤龍城遺跡」&「湖北省博物館」「歓迎夕食会」

武漢市

この日は日中36℃の天気予報で、朝から30℃前後の蒸し暑い晴れた朝でした。短い睡眠時間をものともせずに午前6時からの朝食を済ませた一行は、各自、ホテル周辺の散策や遺跡見学の準備で慌ただしい朝のひと時を過ごしました。ホテルの周辺は真新しい高層マンション群が立ち並び、通勤前の湖畔の広場ではダンスやローラースケート、バドミントン、太極拳等、様々な少人数のグループが朝の活動をしていました。

午前8時、一行はホテルを出発し、武漢市の東北郊外・長江北岸に位置する商代の都市遺跡「盤龍城遺跡」へと向かいました。この日は当初、武漢大学の張昌平教授が同行される運びとなっていましたが、学会の関係で急遽、北京出張と重なり、代わって盤龍城博物院院長の万琳女史と弁公室主任の王先生が一行を出迎え、対応して頂くことになりました。

途中、ガイドの郭さんから大小1000以上の湖沼がある武漢市の紹介があり、左腕を掲げつつ腕の部分が長江で親指が漢水、その合流点が武漢市で、武昌、漢口、漢陽の三鎮が解放後に合併した等の説明がありました。


バス

午前8時45分、一行は高速道路を降りてしばらくすると右側に広大な緑地帯が現れ、「盤龍城遺跡博物院」の看板がかかった鉄錠門の前に到着、王女史が早速、門衛の係員に一行の訪問理由を告げ、やがて厳重な門は開かれました。広い公園内をバスが進むと白塀に囲われた大きな博物館の建築現場があり、遺跡公園の大門や広場は既に完成している模様でした。この盤龍湖に面した緑地帯一帯が目下、「盤龍城考古遺跡公園」として武漢市が2013年から約29億元を投資しての建築中の施設で、2017年4月の清明節後から復元された宮殿区や東城壁の一部が試験的に一般公開されるとのニュース(毎日頭條)もありました。

盤龍城考古遺跡公園


一行は弁公室主任の王先生の出迎えを受け、『武漢市之根』の看板が掲げられた「盤龍城考古遺跡博物院」の建物に案内されました。館内には遺跡公園全体のパノラマ模型があり、総面積は1.39平方キロメートル、宮城遺跡の他にも貴族墓群や手工作坊遺跡等があって、大玉戈、青銅大圓鼎、青銅鉞、綠鬆石鑲金片飾等3000余りの精美な文物が出土したとのことでした。但し、館内に展示してある文物はごく一部で、大多数は湖北省博物館に収蔵されているとのことでした。万琳院長との懇談の場では、日本から持参した資料を基に盤龍城遺跡群の位置の確認とともに、1974年に著名な考古学者である兪偉超氏に率いられた北京大学考古学専攻の学生達がここを発掘したという1970年代、80年代当時の発掘状況等についても説明を受けました。

盤龍城考古遺跡博物院盤龍城考古遺跡博物院盤龍城考古遺跡博物院


この後、一行は女性研究員の案内で炎天下、地下数メートルにあった宮殿区の復元現場と東城壁跡を見学しました。この時の気温は体感では38℃位の猛暑で、一行は全身から汗が噴き出していました。中国3大ストーブとの武漢の噂は本物でした。(南無!)

復元現場と東城壁跡復元現場と東城壁跡復元現場と東城壁跡


「盤龍城遺跡」は長江流域で発見された唯一の商代の都市遺跡で、河南省鄭州市付近で栄えた商代初期の二里岡文化との結び付きが強く、その二里岡文化に先行する二里頭文化の時期から幾つかの集落が点在していました。それが二里岡文化の初期以降、盤龍城の集落は突然巨大化し、全体で1平方キロメートルという大都市に成長。3500年前には、中国社会は既に青銅器時代に入り、生産や生活、軍事の領域で青銅器の製造は極めて重要な地位を占め、銅は最も重要な戦略物資でした。しかし、二里岡文化の中心地である中原は銅資源が乏しい半面、盤龍城付近には大冶銅緑山があり、銅の有名な産地となっていました。更に河川や湖沼が多く、輸送に便利なことから、商王朝はここに軍事拠点をつくり、銅鉱山の開発と冶金精錬、輸送を保障し、長江流域に対する支配を強めたことから、盤龍城はたちまち江漢地区の商代文明の中心になったと思われています。その盤龍城も3、400年続いた後、銅資源争奪戦に敗れ、急激に衰退してしまったと言う説が有力とされています。

1954年、武漢は連日の豪雨に見舞われ、府河の水位が非常に高まったことから、人々は付近の高台の土を掘って堤防を補強しましたが、その時、付近のものとは質と色が違う土壌が発見され、調査の結果、古い城壁の一部であることが分りました。1970年代と80年代になって、湖北省博物館と北京大学の考古学者達が数回にわたってここを本格的に発掘し、39基の墓の中からは400点以上の青銅器や陶器、玉器類が出土したことから、ここが今から3500年前の商代前期の古城遺跡であることが証明されました。

***

午前11時半過ぎ、盤龍城遺跡の見学を終えた一行は武漢市内へと戻り、長江を渡って湖北省博物館付近の「亢龙太子酒軒」での昼食となりました。この豪華なレストランは建物全体が宴席となっており、大宴会場ではまるで結婚披露宴のようで、大勢の人々が赤ん坊の100日目誕生を祝う会が賑やかに行われていました。

劉建軍さんと王女史、郭さんの3人はメニューと睨めっこの湖北料理選びでしたが、一行はともかく炎天下の遺跡見学で乾いた喉を潤おしたく、冷たいビールを注文。目新しいガラスコップ類が並んだテーブルに感心しながらもアルコール度の低い中国ビール5本は瞬く間に空いていました。劉さんの配慮で辛味の少ない珍しい湖北料理が次々と運び込まれ、一行は一品一品、素材を確認しながら数々の料理を味わっていました。

昼食


午後1時半、昼食を終えた一行は今回の考古学ツアーの受入で協力いただいた「湖北省博物館・湖北省文物考古研究所」へと向かいました。

武漢の景勝地「東湖」の畔にある「湖北省博物館」は2007年に新館オープンされ、旧石器時代から近現代に至る文化財約20万点が収蔵されており、特に楚文化遺跡から出土した文物類は特質されます。館内は夏休みで子供づれの見学者が大勢押し掛けており、中には暑さ凌ぎで涼む老若男女の姿も見られました。表敬訪問の前に一行は「盤龍城遺跡」の特別展示室を見学することにしました。

湖北省博物館

午前中、見学した盤龍城遺跡から発掘された文物が展示されており、特に青銅の簋(飯を盛った祭器)と青銅の卣(酒を入れた祭器)はいずれも商代で最も古く、古代の祭祀の際に祈祷師が被った仮面は鬼神との交流に使われたとのこと。出土した青銅器は鼎や簋などの礼器から爵(三本足の酒器)や斝(三本足と取っ手のある円形の口をした酒器)等の酒器まで、その形や文様の装飾も、製作技術も、河南省の偃師商城や鄭州商城の遺跡から出土したものと極めて似ていることから、中原の青銅器文化が長江中流域に伝わり、大きな影響を与えたことが分かります。更に注目すべきは、李家嘴三号墓から出土した大きな玉の戈で、長さ94センチ、幅11センチあり、これまで出土した商代の玉戈のうちで最大のもので、「玉戈の王」とも呼ばれています。

湖北省博物館湖北省博物館湖北省博物館湖北省博物館


午後3時前、王女史の説明を聞きながらの見学を終えた一行は、博物館の正面ロビーにて、今回の考古学ツアーの受け入れ準備でいろいろとご協力いただいた事務室主任の陳麗新女史と面会し、訪問に当たっての尽力に感謝の意を伝えました。陳女史からは方勤館長は残念ながら公用でお会いできないが、代わりに党委書記で常務副館長の萬全文先生が特別講義の講師として既に講演会場で待機されているとのこと。一行は急いで講演会場へと向かいました。

午後3時、笑顔で一行を出迎えた萬全文先生と挨拶を交わし、早速、「楚文化考古・改写中国文明史」と題する特別講義がスクリーンを使って始まりました。先ず、楚国800年の歴史について、鬻熊の代から始まり、鬻熊、熊绎、熊渠、楚庄王、楚威王、楚怀王、孙叔敖、吴起、屈原の人物についての解説があり、楚文化は周代の一地域文化であり、考古学上の物質文化と精神文化の総和であること。青铜冶鋳工芸、丝织と刺繍工芸、髹漆工芸,老庄哲学、屈宋文学、美術と樂舞、以上が楚文化の六大要素である等、楚文化の基本的概念についての説明がありました。

特別講義

続いて、楚文化の考古学的発展については三段階あり、第一段階は1933年から1949年の16年間で、長沙子弾庫楚墓出土戦国中期帛書、長沙陳家大山楚墓出土戦国中期の人物龙凤帛画等の出土、第二段階は1949年から1972年の23年間で、越王勾践剣や戦国中期的木雕座屏等が出土した江陵望山楚墓等の発掘、第三段階は1973年以降で、黄石大冶銅緑山古鉱冶遺跡、江陵紀南城遺跡、曾侯乙墓、河南淅川下寺楚墓群、江陵马山一号墓、荆門包山二号墓、枣阳九連墩楚墓等の発掘となっている旨の解説があり、各段階の貴重な文物類のスライド写真での説明がありました。劉建軍さんの悪戦苦闘の通訳ながらも、約2時間の特別講義は午後5時前に終了しました。一行からは金属製の「鄂君启节」が半割り状の竹節付きの形になっている理由や高速道路工事で埋められたという九連墩楚墓遺跡の現場の状況等について質問があり、最後に萬全文先生と記念撮影をしました。この時、公演会場のライトが点灯せず、スライドの光での変な写真となりました。

集合


この後、閉館までの短時間を利用して一行は「曽候乙墓」の特別展示室を見学することにし、特別講義で説明を受けた曾侯乙鉴缶、鹿角立鶴、曾侯乙編鐘、曾侯乙内棺、十六節龙凤玉挂飾等を急ぎ足で見学しました。


「曽候乙墓」の特別展示室「曽候乙墓」の特別展示室「曽候乙墓」の特別展示室「曽候乙墓」の特別展示室


午後6時、武漢市の中心街にあるレストラン「盛泰風臻宴」にて「歓迎夕食会」が開かれました。湖北省博物館からは萬全文先生とともに陳麗新女史、そのお嬢様、男性研究員の4名が参加され、総勢11名での賑やかな夕食会となりました。

開宴に先立ち、萬全文先生から昨年夏に成都の金沙遺跡博物館で開催された「九連墩楚墓精品文物徳展」のカタログが一行全員に贈呈され、日本側からはこれまでの中国考古学ツアーの紹介を兼ねて、過去6回分のレポートが送られました。

歓迎夕食会歓迎夕食会歓迎夕食会

宴は今回の特別講義の講師として事前にパワーポイントで資料を送って頂いた萬全文先生及び今回の考古学ツアーの受入れに当って関係部門と折衝していただいた陳麗新女史に対する感謝の挨拶とともに、北京大学の徐天進先生のご指導のもとにこれまで実施してきた考古学ツアーの紹介及び今回の武漢訪問の経緯についての説明があり、ビールでの乾杯となりました。萬全文先生からは一行の武漢訪問を歓迎するとともに、改めて楚文化の重要性についての説明があり、鄭州で開催される国際会議等で、方勤館長始めスタッフは多忙を極めている旨の話がありました。

湖北料理特有の辛味ある川魚、エビ、肉類、野菜類等の多彩な料理を堪能しながら、萬全文先生の日本滞在の体験談や一行の前年の成都訪問時の話題等、和やかな雰囲気の内に宴は進み、午後7時半頃、全員で記念撮影をしてのお開きとなりました。

歓迎夕食会



 「湖北省の古代遺跡を訪ねる旅」 報告

報告 1日目 出国・入国

報告 2日目  「盤龍城遺跡」&「湖北省博物館」「歓迎夕食会」

報告 3日目 「随州博物館」「曽侯乙墓」「天門石家河遺跡」

報告 4日目 「荊州熊家塚墓遺跡」「荊州博物館」「荊州古城」

報告 5日目 「黄鶴楼」「楚河漢街」「湖北省博物館」「歓送夕食会」

報告 6日目 出国・帰国


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