「日中友好宗教者懇話会 北京・福建省参拝団」
<報告・2日目>

<2日目> 8/27 「空海大師記念堂」&「空海漂着記念碑」見学

小雨ちらつく曇り空の比較的涼しい北京の朝。この日は福州への移動日で、早朝5時10分のモーニングコールでした。それでも元気な様子で急ぎの朝食を済ませた一行は、北京首都国際空港第3ターミナルへと急いで、午前6時10分に到着。国内便の出発ロビーは、既に大勢の旅行客で混雑しており、一行は先を競うように搭乗手続きを済ませて、国際便よりも厳重な手荷物検査とボディーチェックに驚きながらも、やっとの思いでCA1505便の搭乗待合席へと進み、搭乗案内を待ちました。やがて、超満員のシャトルバスで駐機場へと進み、昔懐かしいタラップを利用しての搭乗となりました。機内は夏休みを利用する親子連れや一般の利用客で満席状態でした。


2日目・飛行機移動


同機は定刻よりやや遅い午前8時10分に離陸したものの、順調に飛行を続け、午前10時30分、定刻より約20分も早く福州市東南郊外にある福州長楽国際空港に到着しました。この日の福州は太陽が照りつける快晴で、気温35度の蒸し暑い熱帯特有の天気でした。ここで、超多忙にもかかわらず一行の旅に同行するため、先に同機に搭乗されていた中国仏教協会国際部副主任の李賀敏氏と合流し、到着ゲートへと向かいました。出迎えの人々で賑わう到着ゲートでは、福建省仏教協会副秘書長の世起法師、同協会秘書処副主任の陳海平氏及び現地ガイドの陳洪軍さんが笑顔で出迎えておられ、一行と挨拶を交わした後、団長車と専用バスに分かれて、昼食のため、空港近くのレストランへと向かいました。

午後11時10分、真新しい「海濱酒店」での昼食は、中国八大料理の一つの「福建料理」で、エビ、魚貝類の海産物の他に筍やキノコ類の山菜が盛り沢山に出され、一行は珍しい郷土料理を冷たいビールとともに存分に堪能することができました。


福建料理


【参考:中国八大料理】
山東料理、四川料理、湖南料理、江蘇料理、浙江料理、安徽料理、福建料理、広東料理

午後0時40分、団長車に先導されたバスは空港近くから温福線高速路に入り、福建省寧徳市霞浦県にある赤岸鎮へと向かいました。浙江省温州方面へ向かうこの高速路は2009年9月に開通した比較的新しい高速道路で、この日は渋滞もなく快適なドライブとなりました。福州市郊外の沿線には高層マンション群が立ち並び、幅広い道路にはガジュマルや蘇鉄、バナナ等の街路樹が植えられ、緑溢れる南国特有の風景があちこちに見られました。やがてバスは山岳部を潜り抜け、寧徳市に近づくと、沿線両側には台湾海峡に面した複雑な海岸線の内海が広がり、エビやカニ等、魚貝類の養殖池があちこちに点在していました。


空海大師記念堂


午後3時30分、バスは霞浦インター出口で現地関係者と合流し、真新しいマンション群が立ち並ぶ農村のニュータウンを通り抜けて、道幅ギリギリの田舎道を対向車と競り合いながら、やっとの思いで赤岸鎮の浦にある「空海大師記念堂」に辿りつきました。

「空海大師記念堂」は仏教協会の管轄ではなくて赤岸鎮旅遊局の管轄下にあり、予め予約が必要で門前では鍵を持った旅遊局の陳勇氏や霞浦県仏教協会秘書長の界鵡法師等、関係者数人が一行を待ち受けていました。一行は早速、界鵡法師の案内で記念堂に入り、空海大師の立像の前で大師の苦難の漂着を偲びつつ「般若心経」を唱え、参拝しました。参拝と記念撮影を終えた一行は、次に田園の畔道に沿って「空海漂着記念碑」へと向かいました。しばらくすると笹薮の生い茂る小高い丘にひっそりと石碑がありました。想定外の野晒し状態に、一行は驚きの表情を隠せませんでしたが、背丈ほどの笹薮を掻き分けての記念撮影を済ませ、早々に引き揚げました。


1日目-3


半農半漁の赤岸鎮の浦には、高野山真言宗の関係者によって先ず「蔡海亭」がつくられ、昔は海岸だったと思われる田園の中に「空海漂着記念碑」が建てられました。1989年10月には、霞浦県を中心に空海の密教思想や日中友好の事蹟に関心を持って、その研究をしている好学の士が集まって「寧徳市霞浦空海研究会」が設立されました。その成果の中にこの赤岸鎮の空海漂着地の研究や長安への道程解明などがありました。
1994年5月、再び高野山真言宗の手により「空海大師記念堂」が完成し、空海大師の立像が祀られ、今日に至っています。


空海漂着記念碑


【参考:空海・入唐求法】
延暦23年(804年)、正規の遣唐使の留学僧(留学期間20年の予定)として唐に渡る。入唐(にっとう)直前まで一私度僧であった空海が突然留学僧として浮上する過程は、今日なお謎を残している。伊予親王や奈良仏教界との関係を指摘するむきもあるが定説はない。第16次(20回説では18次)遣唐使一行には、最澄や橘逸勢、後に中国で三蔵法師の称号を贈られる霊仙がいた。最澄はこの時期すでに天皇の護持僧である内供奉十禅師の一人に任命されており、当時の仏教界に確固たる地位を築いていたが、空海はまったく無名の一沙門だった。同年5月12日、難波津を出航、博多を経由し7月6日、肥前国松浦郡田浦から入唐の途についた。空海と橘逸勢が乗船したのは遣唐大使の乗る第1船、最澄は第2船である。この入唐船団の第3船、第4船は遭難し、唐にたどり着いたのは第1船と第2船のみであった。空海の乗った船は、途中で嵐にあい大きく航路を逸れて貞元20年(延暦23年、804年)8月10日、福州長渓県赤岸鎮に漂着。海賊の嫌疑をかけられ、疑いが晴れるまで約50日間待機させられる。このとき遣唐大使に代わり、空海が福州の長官へ嘆願書を代筆している。同年11月3日に長安入りを許され、12月23日に長安に入った。(フリー百科事典『ウィキペディア』より引用)

午後4時20分、「空海大師記念堂」での参拝を終えた一行は、再び高速路に入り、福州市内へと引き返しました。市内はすっかり日も暮れていましたが、街角はネオンやイルミネーションで明るさを増し、多くの人と車と電動自転車で活気に満ち溢れていました。
午後7時20分、市内中心部ある西湖畔のホテル「西湖大酒店」にチェックインした一行は、福建省仏教協会による歓迎宴に備えて、各自、急いで身支度をしました。当初の予定では、28日の夜に学誠法師がおられる莆田市内で懇親会が行われることになっていましたが、学誠法師が北京での会議で不在であるとともに、現在、福建省仏教協会の所在地が福州にあることから、急遽、福州市での開催となったものです。


歓迎宴


午後7時45分、ホテル内のレストランにて歓迎宴が開催されました。最初に福建省仏教協会を代表し、赤岸鎮まで同行していただいた世起法師が北京での重要会議で幹部不在の中、一行の福建省訪問に対する歓迎の挨拶があり、続いて福建省民族宗教庁副庁長の林致知氏からも永年に渡る日宗懇の貢献に対する感謝と歓迎の挨拶がありました。持田団長からは答礼の挨拶、日宗懇のこれまでの交流事業の紹介とともに、今回初訪問の福建省での各寺院参拝を大いに楽しみにしている旨の挨拶がありました。
歓迎宴での食事は、福建風の精進料理で、アルコール抜きの木の実ジュースでの乾杯の後、シイタケを主な出汁の材料としており、タケノコ、キクラゲ等のキノコや生麩、豆腐などを素材とした珍味が次から次へと出され、一行は和やかな雰囲気の中、珍しい料理に満腹状態になりながらも、最後まで箸を突き味わっていました。

午後9時10分、歓迎宴は旅の話や精進料理等、様々な話題で盛り上がったところでお開きとなり、互いに新たな出会いを約してのお別れとなりました。この後、アルコール抜きでの食事に何となく物足りなさを感じておられた一部の団員は、西湖に面したホテルの屋外バーにて、夜景を楽しみながらフランス産葡萄の地元葡萄酒?を楽しんでおられました。

 「日中友好宗教者懇話会 北京・福建省参拝団」 報告

報告 1日目 「中国仏教協会」&「国家宗教事務局」表敬訪問

報告 2日目 「空海大師記念堂」&「空海漂着記念碑」見学

報告 3日目 福州開元寺」&「莆田・廣化寺」参拝

報告 4日目 「泉州開元寺」参拝 & 泉州市内散策

報告 5日目 「南普陀寺」参拝 & 厦門市内観光

報告 6日目 コロンス島観光 & 帰国手続き


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